作業所である女の人と話をしていたんですけど、殺人を起こした人が責任能力がなく、無罪になったという話があって、僕は女の人に人を殺すのが悪いとということが分かっていたら、それは責任能力があるのではないかと言ったら、女の人は虫を殺すような感覚よと言いました。僕は、虫を殺すのはかわいそうで、できないのだけれど、逆をいえば、人も虫のようだと思っていて、その人たちに危害を加えたりするのは自分がやられたら怖いとか法があるからというのでしません。それで僕は女の人に言ったんですけど、その殺人犯はすごく頭が悪いね、自分も虫に見えたりしないのかと言ったら、その女の人は、頭がいいとか悪いとかではないと言いました。
僕は幼いころ、人より悪い心があると思いました。それで、実験的に人にケンカを売ったりしたんですけど、ぎゃふんといわされて、これはだめだと学習しました。それから実験的に虫を殺してこれが悪いんだと学習していきました。
幼稚園に行っていたとき、悲しくもないのに泣いて、これが涙というもんかと学習しました。それで僕は赤ちゃんを抱くことができません。こんな障害があるのに、普通に暮らしていけるというのは、責任能力があるのでしょうか。気遣いというのは、適切なことばではないですね。
黒岩英夫