かつて 国と国との紛争を解決するのは、武器と兵士の力で戦争するのが当たり前だった。それが殺し合いではなくて、話し合いによって解決していこうと、それを世界の常識にしていこうと決意してから百年近くたつが、実現できていない
二十一世紀になってからも軍事力による攻撃は続いている。アフガン、イラク、シリア、リビア、ガザ等々、枚挙にいとまがない。多くは、大国であるアメリカ、ロシア、ヨーロッパ、イスラエルなど武力にもの言わせた攻撃だ。「勝てば官軍負ければ賊軍」という言葉があるが、これに近いかもしれない。理想を掲げた国連は後方に追いやられている。
ロシアのウクライナ侵攻は、主権を犯すものだと怒ったが、ロシアにしてみれば、自国の庭先の争いでロシア兵は解放軍ということになるらしい。
イスラエルのガザ侵攻は、今に始まったことではないが、今回はあまりの規模の大きさに驚いている。ユダヤ人を脅かす者は、手段・他者の命いかんを問わず、なにをしても許されるということらしい。パレスチナ人を閉じ込めて、陸海空の攻撃だ。虐殺ではないか。かつてのユダヤ人ゲットーもホロコーストも、ユダヤ人にとっては悪だがパレスチナ人に対しては正義となるのだ。占領と支配、どこまでいってもユダヤが絶対的正義なのだ。流されるおびただしい血のりと叫び、破壊と憎しみ。赤ん坊と大人ほどの軍事力の差の中で起こったハマスのテロ行為である。パレスチナ人の苦しみ、テロリストの哀しみに私は涙する。いつの時も、テロリストとよばれる人々は大きな軍隊をもっていない。戦争に打って出るほどの力を持たない者である。平時なら当然非難されるべき行為も、自らの意思表示のために、少しずつ蓄えた力でなされたのだ。
石をなげつけるだけの絶望的なインテファーダに、百倍返し千倍返しのイスラエル軍である。ユダヤ人を守るための正義なのだ。今回は、無制限の留まるところを知らないガザへの攻撃、燃料、インフラのストップ。食料も水もなく薬もなく死を待つだけのガザに世界は何もできないとういう現実。パレスチナの怒りに目をつむってきた国際社会である。
ナクバから続くパレスチナの哀しみを乗り越えることはできないかもしれない。それでもせめて、未来に向かって平和的共存の道を探ることはできないものか。
宗教や民族の違いは絶対的なものではない。
平凡な日常生活、衣食住の保障、人としての自由と権利が認められる国家であれば、同じ人間として、よき隣人として生きていくことは可能ではないだろうか。
松尾美絵